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遊◎機械/全自動シアター

ラ・ヴィータ

〜愛と死をみつめて〜



参考資料:パンフレット、戯曲「ラ・ヴィータ」(著者:高泉淳子、1994年ペヨトル工房)
場面タイトルは一部を除き、戯曲「ラ・ヴィータ」より引用させていただきました。

ストーリー展開、場面を最初から最後まで説明しています。舞台を未見の方で知りたくない方はこの先を読まないでください。
詳細を読みたくない方は…戻る

場面説明は舞台を観劇したわたし個人の記憶、印象、解釈によります。
台詞等を詳しく(正しく)知りたい方は戯曲を買って読んでくださいね。
なお、事実の間違いなどがありましたらぜひともメールにてご指摘お願いします!




【プロローグ 死にゆく前の老人の独白】

まだ客席が明るいうちに舞台にはひとりの老人(白井晃)が静かに現れます。ざわめいていた客席が静かになっていくとともに客電がだんだん落ちて暗くなっていきます。
舞台前面にある椅子(台というべきか)に座り、独白する老人。人生の最期を迎えるにあたって、これまでの人生を振り返り、思いを語る。老人は自分の人生はなんだったのかと思いをはせます。まわりには老人を知るものはもう誰ひとりいない。みんな自分を置いて消えていってしまった。果たして自分はどうだったのか…。
静寂の中で、また静かなピアノの調べに乗せて老人は語りますが、老人のママ(高泉淳子)が現れ、彼の独白をさえぎります。「聞いてられないわ。初めて主役になれるときだっていうのに。あなたの台詞はとても中途半端…」
老人は幼い頃から母親に意味のある生き方をしなさいと言われて育ってきた。完全を得られぬときは無を選んだほうがよいと。その教えのとおり生きてきた。その結果、自分には何も残らなかった。本当にこれでよかったのか…?そんな迷いを心に抱いたまま、老人がこれまでの自分の人生を描くステージが始まります。

【1.最後の晩餐】

ママはかつて老人に近いところにいた、今は亡きなつかしい人達を連れてきて彼のために最後の晩餐を催します。
集まってきたのは、老人の父親(陰山泰)、妻(山下容莉枝)、娘(瀧山雪絵)、弟(平沢智)、友人(小林隆)、愛人(秋山菜津子)。荘厳な音楽とともにセットのあちこちから現れるのですが、このセットが不思議な空間を作り出しています。工事現場か非常階段のような…と言ってしまうと身もふたもないですね。金属と板でできている無機質な感じのセットなのですが、暖かい感じのするセットです。そして天井からのブルーと赤の照明、またオレンジの照明がセットの通路を縁取るようにつき、床、テーブルからも光が溢れます。その効果とあいまってホントにいい感じ(語彙が乏しくてうまく表現できなくて悲しい)。 現れたなつかしい人達は、セットの中段くらいにずらりと横1列に並びます。ひとりづつスポットライトが当たっています。 そしてひとりづつ順番に、老人に対しひとことづつ言葉をかけますが、老人に対する不満、恨み言みたいな内容ばかり。

ママが料理の皿を持って奥から現れると、他の人達も動き出します。セットの中央通路を通って、老人のいる舞台前面に出てきた人達はそこに立っている老人に対し、なんとなく彼を励ます感じでちょっと触れたり、身なりを整えてあげたりしてから離れて行き、ざわざわした雰囲気の中、食卓がセッティングされます。老人はされるがままという感じでぼんやりしています。
全員が席について、ママの「始めましょうか。」の言葉で晩餐が始まります。まずは「乾杯」なのですが、さっそく妻と愛人の間ではとげとげしい雰囲気が現れ始めます。
老人はひとり離れて彼らの話を聞いています。平沢さんは、なんというか「弟」って感じです。高泉さんと親子の役なんだけど、ちゃんとそんな風に見えました。ママ(高泉さん)に「あなたは食べるのがへたなんだから。ほら、ここについてる」ってほっぺたを指差される平沢さんて…キュートだわ(^^;

えー、話戻って、結局、晩餐の場は、親子の確執や、妻と愛人の修羅場、みんなが老人について勝手なことを言い出し、大騒ぎになりかけますが、そのとき老人が「君らに私の何がわかるっていうんだ!」と叫び、座をしーんとさせます。自分にだって自分がわからないっていうのに、君たちに何がわかる?と、言いつのる老人。そんな老人とママを残しみんなは去っていってしまいます。

【2.老人とママ Part 1】

ママと老人ふたりきりの会話。「もう、しょうがない子ね」とママに世話をやかれながら食事する老人。ママは食べ残しの料理の皿などをテーブルの端に片付けながら会話をしてます。ママにとっては老人はいつまでたっても子どもなんですね。
そしてママは老人に、言って聞かせます。死んだらずっと暗闇の中、何もなくなるの。土に埋められて最終的には「炭酸ガスと水とカルシウム」になってあとかたもなくなる。生まれ変われるとか魂は不滅なんてことはない。今がすべてなのよ。
老人は、今がすべてだとしたら自分には何もない。こんな中途半端な人間作らなきゃよかったじゃないか。と、ためいきをついて「生まれてこなきゃよかった」などと言いますが、ママは「なんてことを言うの!あなたが自分で出て来たいって言ったのよ」などと言い、ママの心を傷つけてひどい!と嘆きながら去って行きます。老人は、自問します。本当に自分の意思で生まれたくて生まれてきたのか?そんなはずはない、それならばこんな人生であったはずが…

【3.生誕】

音楽とともにセットが動き(中央の通路が立ちあがり、急なスロープが出現)、後方から白い衣装に身を包んだ4人が登場します。帽子をかぶりゴーグルをしているので、最初消防士かと思いました(^^;。この中に平沢さんもいるのですが、平沢さんは背中に何か大きなボンベみたいなもの背負ってるし(あとでわかりましたが、バキュームホースでした)。実はこの人達は医者でした。平沢さん以外の3人の医者は小林さん、秋山さん、山下さんです。看護婦が瀧山さん。医者達がにぎやかに登場してくる間に、前場面の料理の皿などを白井さんがさりげなく片付けています。
この場面は笑えます(^^;
出産間際に胎児がバリケードはってたてこもっているという話。近づいたらへその緒で首をしめて死んじゃうと脅しているそうな。実は、今生まれてこようとしているのは老人その人だったのでした。医者達は母親の問診表から胎児の好物を分析し(うなぎと中島みゆき「この空を飛べたら」)、それでつろうともくろみます。
うなぎは見つかったけど、CDがなくて、しょうがないので医者達は自分達で歌うことに。
アカペラで歌い始めるのですが、だんだんのってきて、さりげにハモったりしてなかなかです。
結局それらにつられて出てきた胎児=少年(高泉さん)ですが、父親に要求をつきつけたりして、生まれたときから親子関係は険悪なムード。医師達はよかったよかったと去って行き、うな重を食べる少年と、老人のふたりが残されます。

【4.生まれてきた自分との対話】

将来「ホンマモンの芸術家」になりたいという少年と老人との会話。ホントの芸術って何?と聞かれた少年は、彼の芸術を披露します。彼の合図とともに<アリア「神よ、平和を与えたまえ」>が流れ、赤の照明が天井から降りてきて舞台を赤く染めます。この場面は…高泉さんと白井さん以外のオールキャストによる芸術(?)場面。少年の説明に合わせてキャストが登場します。戯曲を読むと設定がそれぞれ違うので、キャストに合わせて変えてるんだと思う…。
それぞれの人の役どころは、ひょっとして間違ってるかもしれませんが、だいたいこんな感じです。まずは瀧山さん。悲しみに足をとられ泣き叫ぶバレリーナ。次に秋山さん、欲望が満たされずベッドからすべり落ちる女性。山下さんは、泣きながらぬいぐるみを切り刻む神経衰弱の修道女。そして陰山さん、巨大な水道の蛇口の扮装をしたハエ男?、小林さんは、自分の殻に閉じこもり魚に退化したいと願う男。そして最後に平沢さん、時間にしばられ秒針を刻み続ける男。大きな時計を背負って、グリーンの鳥打帽をかぶり、タップを踏む…という役どころ。タップの音は秒針の刻む音みたいです。
初日の頃はハエ男・陰山さんは遠くセットの後方の上段を歩いていたのですが、途中で変えたみたいで、千秋楽近くに観たときには舞台前面を歩くようになってました。そりゃこのほうがいいと思いました。あんなに面白いのに後ろだとよく見えなくてもったいないもんね(^^;
老人は詩を朗読し、終わる頃にはみんなは去っていきます。ひとり残った老人は一言「なんだこれは!?…さっぱりわからん。」

【5.老人とママ Part 2】

ママと老人との会話。ママはもっといつもそばにいて、ささいなことを全部見つけてあげるべきだったと悔やみます。そしたらもっと…もっと…と言いかけながらママは去って行きます。もっと?何なのか?

【6.愛のない生活〜妻と老人とその愛人】

ムードのある音楽が流れ、舞台奥から妻(山下さん)が現れます。素直になれない妻と老人とのちぐはぐだけど、夫婦なやりとり。いい雰囲気になったところで愛人(秋山さん)登場。結局のところ修羅場となります。ママがお茶の用意をして現れて場を収めるのだけど、今度は老人のどこが嫌だったかという話になり、あんまりみんなが責めるもので、自責の気持ちで泣いてしまう老人。
そんなとき、後方から父親(陰山さん)が「嘘泣きだ!騙されるな!」と叫んで出てきて、娘も現れ大騒ぎになります。騒ぎのなか、軽快な音楽が流れ、ママの「踊るわよ!」の一言でみんなで踊りはじめます。ラインダンスというかフォークダンス風のダンス。

途中で平沢さんと小林さんが後方から現れるんですが、セット中央の通路で平沢さんがぴょんと小林さんを飛び越えたり(普通のことみたいにやってるけど、よくあんな場所でできるもんだ…。気持ちよさそうに跳んでるけど。)、台の上でふたりで踊ったりしながら前に出てきます。ここは、思わずキャー(*^^*)と思ってしまうポイントです。
全員が舞台前面に揃ったらみんなでまた踊るのですが、男女組んで踊るところがあって平沢さんのパートナーは妻役の山下さんです。(他の人のことは覚えていない…ごめんなさい。)平沢さんってダンスとなると俄然むちゃむちゃいい男!(普段は違うのか?というツッコミはナシね(^^;普段も素敵です!)ステップの確かさとかキレのよさなんかは今更言うまでもなく当たり前ですが、細かいポイントを言いますと、女性をエスコートするときにさっと出す手が素敵(*^^*)…こんな細かいこと言って、はたしてわかってくれる人はいるのか…?(笑)
ちなみにこの場面、平沢さんの振付だそうですが、ダンス場面というよりは、ダンスを混じえたムービングという感じみたいですね。

【7.父親と弟と老人とその友人】

大騒ぎが収拾して男達だけが残されます。父親から逃げて高いところにあがって「近づくと飛び降りる!」などと言う老人。怒る父親、なだめる弟、チャチャを入れる友人ってところ。老人と父親との確執。長男に対する次男の屈折した思い。そこに友人が絡み、なんだか調子っぱずれな雰囲気。
老人のでたらめな芸術を理解しない父親と老人との口論。父親が怒って老人(白井さん)の髪の毛をひっぱっていると、弟(平沢さん)は、父さんはいつも兄さんのことばかり。父さんは兄さんの髪の毛をひっぱるのに、僕の髪の毛はひっぱってくれないなどと屈折したことを言います。それを聞いて父親が弟の髪の毛もひっぱります。そのとき平沢さんが「父さんが髪の毛をひっぱってくれた!」ってうれしそうに言うのがなんか可愛い(^^;;思わず笑ってしまう。
3人で三つ巴になって髪のひっぱりあいをしていると、友人(小林さん)がしらけたことを言って、ひっぱりあいは終わるのですが、そのときには白井さんの頭はまるでベートーベンのようにぼさぼさになってるし、平沢さんも短い髪の毛が立ってクレーターのようになっているのが可笑しいです。
結局お前の芸術とは何だ?と問われて、例の<アリア「神よ、平和を与えたまえ」>が始まります。あの場面の再現。役どころは前回と同じですが、今回はそれぞれの人は老人と関わりのある人達として出てきます。

【8.老人とママ Part 3】

芸術の場面が終わって、現れたママと老人との会話。親は子供に愛情を注ぐだけ。子供に愛してもらおうなんて思っちゃだめよとママは言う。
ひとりになった老人はポケットから一枚の写真を出して眺める。可愛かった娘のことを思いつつ。

【9.変貌する少女達】

老人の背後に、老人の娘と仲間(?)の少女達が現れる。全員セーラー服姿。娘が老人にひとりづつ少女達を紹介します。
少女1(秋山さん)両親の家庭内離婚に抗議して断食しているうちに拒食症になってしまい痩せすぎてしまった少女。
少女2(山下さん)つぎつぎと結婚を繰り返す親のために複雑な家族構成になってしまい、過食症で太ってしまった少女。
少女3(平沢さん)心身症(自称)の少女です。メガネをかけて髪は2つにくくったお下げ。おどおどしていて、他の少女に殴られたりしていじめられています。変なんですけど…こんな女の子、いてもおかしくない…かも(^^;
少女4(小林さん)父親の家庭内暴力に抵抗するため筋肉トレーニングにはげみ男みたいになってしまった少女。
少女5(陰山さん)苦労のしすぎでふけこんでしまった少女。
ここは、けっこう深刻な場面なのだけど、陰山さん…なんだか妙にはまっていて可笑しすぎます…。笑いとってますね?狙ってますね?初日頃に観たときはそれほどとは思わなかったのに、楽近くには笑いをこらえきれなくなってしまいました。インパクトありすぎ(^^;。

さて話戻ります。娘は老人が出て行ってしまってから太って変貌してしまったと言う。この少女達もみんな家族のハンディを背負って変貌してしまったのだと。「生まれてこなきゃよかったわ」と言って去っていってしまう少女達。

【10.少年との再会】

呆然としている老人のところに、「生まれてこなきゃよかった」なんて挨拶がわりみたいなものだよと言いながら現れる少年。
少年との会話。思い通りに生きられなかったと悔やみ泣いてしまう老人。そんなことないと少年。ここで少年が老人の顔を触るところがあって、さりげなくとてもいいですね。
この場面の少年の台詞ででとても印象的なものがあります。「ジェットコースターの順番待ちのとき、いつも長い列を見て思ってた。どんなに人が並んでいても、必ず僕に順番が回ってくるんだなって。」
ああ、同じように感じてたなぁってちょっとドキリとした。

静かな会話のあとお互いに最後を悟った二人。あとはまっくら。土の中。炭酸ガスと水と…カルシウム。ふたりは声を合わせて言い、ちょっと笑います。
そして少年と老人は握手をし、抱擁をし、別れていきます。
去り際に少年は立ち止まり振り返って言います。「やっぱり、生まれてきてよかったよね。」

【11.最後のステージ】

少年に詫び、泣いている老人のところに、懐かしい人達が現れ、老人をなぐさめるように彼の顔や身体に触れ、それぞれの席につきます。冒頭にも同じような場面がありましたが、雰囲気が違いますね。とても優しい。そして最後にママがスタンドマイクを持って現れ、舞台前面の中央に置きます。老人を励ますママ。「それ以上自分を責めるのはおよしなさい。最後なんだからしっかりしなきゃ。大丈夫、きっとうまくいくわ。」
ママが席につくと、座っていた人達はひとりづつ席を立ちスタンドマイクの前まで出てきて老人に言葉をかけます。カントリー風の軽快な、だけど静かな音楽。父親、妻、娘、弟、友人、愛人。どの人の言葉も老人に対し優しい。この場面、好きです。初見のとき、平沢さんの「兄さん、尊敬してるよ。」の台詞で泣けてしまいました。
最後に再びママがスタンドマイクの前に立ち、優しく老人をうながします。

【エピローグ 人生最後の台詞】

老人の最後の台詞。スタンドマイクの前に立つ老人にはスポットライト、舞台は全体的に暗く、照明は床から溢れる感じ。自分の人生を受け入れ、とつとつと思いを語る老人。なぜあんなにかたくなだったのだろう、今ならみんなを受け入れることができるかもしれない…もし生まれ変われたら…いやそんなことはない。死んだらずっと暗闇の中。炭酸ガスと水とカルシウム…。老人は言葉を切り、「ちょっと失礼して」と、煙草を一本取りだし火をつけ、吸って煙を吐きます。思いきるように「そろそろ腹をくくらなきゃな」とつぶやき煙草を捨て足でもみ消します。そして、「今がすべてだ」と言い、老人は後ろを向き、去って行きます。音楽高まり、老人のステージを送る拍手の中、舞台はだんだん暗くなっていき、暗闇。

【カーテンコール】

再び明るくなるとカーテンコール。最初の登場のときの音楽が流れ、一列に並んだ出演者がひとりづつお辞儀をしていきます。
千秋楽ではこのとき、高泉さんが涙ぐんでらっしゃいました。見ていて思わずもらい泣き。高泉さんはもちろん自分の順番が来るまでにささっと手で涙をぬぐい笑顔になってらっしゃいました。千秋楽ではこのあと特別カーテンコールがありました。

途中のダンスシーン(「7.父親と弟と老人とその友人」の前)のときの音楽が流れ、あのダンスシーンの再現です。 千秋楽は立ち見も出る満員の客席でしたが、手拍子が自然に沸き起こって盛りあがりましたね。
音楽が始まったとき、キャストのみなさんがとまどってらしたように見えたので、知らされてなくていきなりだったのかしらと思ったんですが、ご存知だったそうで、でも練習とかはしてなかったそうです。
小林さんと平沢さんはわざわざ後ろに回って、ちゃんと登場から再現してらしたけど、最初のセンター通路で小林さんを平沢さんが飛び越えるところ、ちょっと失敗してらっしゃいました(^^;;タイミングが合わなかったみたいで、ジャンプできなかったんですが、やり直して次はばっちりでした。
終わってしまうのはさびしい、だけどとっても楽しいカーテンコールでした。平沢さんもノリノリでした(^^)。

今思い返してもいい舞台だったな…と思います。もっと観ていたかったですね。舞台はいつか終わるからこそいいのだと、だからこそ今このときが輝いているのだとわかってはいるのだけど…。人生もそうなんでしょうね、きっと。《2001.11.3》



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