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クラウディア




●内容の詳細とわたしの感想です。内容説明はあくまでも舞台を観たわたしの印象と記憶と解釈によるものです。実際の脚本や演出の意図とは異なるかもしれません。その点をご了承のうえお読みください。ご意見ご感想(苦情でも)がありましたらメールにてお願いします。間違ってることを書いてたらぜひぜひ教えてくださいね!
●参考資料:パンフレット、終演後の劇場ロビーに掲示された曲名リスト、サザンオールスターズ/桑田圭祐CD
●場面名はわたしが勝手につけました。


二幕つづき

13. 細亜羅/Oh! クラウディア


毘子蔵とヤンの戦いが終わって、人々の目はふたたび細亜羅とクラウディアへ。やむなく迎え討つ細亜羅。龍の子はじっとその戦いを見つめている。その目には哀しみ?寂しさ?微妙な光を宿す複雑な表情。
剣豪とはいえ、殺気だった大勢の人間を相手に、そして斬られ、傷ついていく細亜羅。取り乱すクラウディアに「来るな!」

「俺を思う心があるなら…生きろ。…生きてくれ!」

バックに流れるのは「Oh!クラウディア」
スローモーションの動きで細亜羅が息もたえだえになりながら戦うのを見つめていた龍の子はつぶやきます。
「僕にはこの戦いが美しく見える…」

美しい戦い・殺し合いなんかありえない。だけど、ここで龍の子が感じている美しさは戦いそのものにではなく、今目の前で繰り広げられている戦いの意味、大切な人に生きてほしいがために戦いに身を投じた細亜羅の、人を愛する心。そこだとわたしは思います。
毘子蔵もおりえもそうですが、「誰かのために死んだ」のではなくて、守るべき誰かのために、その大切な人を「生かすために」、生きてほしいがために戦いに身を投じたのだと、その結果死んだのだと思います。

ただ欲望を満たし、ただ戦うために目の前の敵を斬るだけだった人間達の中で、特定の誰かをひたすらに愛する心を持った人達。神親殿は愛とは何かを知っていたけれど、龍の子はそれがどういうものなのか本当は知らなかった。初めて目の前に見て、龍の子の心にもまた、何かが芽生えていったのだと、思います。

傷つき最期のときを迎えた細亜羅は必死にクラウディアのもとへ。細亜羅はもう目もろくに見えていない。クラウディアが必死に伸ばした手で細亜羅の手を包み込んだとき、細亜羅はほっとした表情で息絶えます。呆然とするクラウディア。

細亜羅との戦いを終えて、次なる標的、クラウディアに殺気を向ける人達。クラウディアはただ呆然と座り込んでいます。そのとき、コイケ(能見さん)が手に銃を持って駆け出してきます。龍の子の前で立ちすくむコイケ。でも龍の子はなぜか悲しみに満ちた目で道をあけ、コイケを通してやるのでした。

コイケは泣き笑いのような表情でクラウディアに銃を渡し、鉢巻をとって台から殺気だった群集の中へ降りていきます。はけ口を求めている群集にめった斬りにされるコイケ。
わたしは最初このコイケの行動がわからなかった。なぜコイケはクラウディアに銃を渡して自分は死んでいったのか。でも日生劇場の千秋楽でだったかな、ああ、コイケはクラウディアに生きてほしかったんだと思ったのは。あのままでは確実にクラウディアは群集に斬られる。コイケはクラウディアが死ぬところを見たくなかったんじゃなかろうか。なんとか助けたかったけれど、他に方法を思いつかなかったんじゃないだろうか。コイケもまた愛を知った一人なんだなと。別にそんな理屈を考えながら観ていたわけじゃないのだけど、とつぜんそんなコイケの思いをひしひし感じて、この場面でわたしは泣けてしまったのでした。

コイケが倒れ、またクラウディアに標的を戻す群集。我に返ったクラウディアは立ち上がり、銃を空に向けて乱射する。(ここ、「セーラー服と機関銃」みたいって思うわたしは古い?)

14. 龍

銃の音を受けて獣の咆哮がとどろき、伝説として語られていた眠れる龍が目を醒まし初めてその姿を人々の前に現す。いままでいったいどこにいたの?っていうくらいでかい龍の頭が龍の子の背後に登場します。
日生劇場ではこの龍は下手の奥にこっそりと現れるもので、席によってはぜっんぜん見えなかったものですが、わたしが観た福岡・大阪ではこの龍は下手から現れて上手のほうへがーっと移動するように出てくるようになりました。改良されたのか、劇場の都合なのかはわかりませんが、このほうがよいですね。

龍の登場におびえ逃げまどいひれふす群集。
そんな中、木の後ろから神親殿が飛び出してきて龍の子に必死の訴えをします。

時をとめるのです!この戦いは愛を知った人間達の
もっとも危険な戦いです!やめさせなさい!

上から黙ってみていた龍の子がすたっと飛び降りて姉のもとへ。そして姉の背中に剣を振り下ろす。瀕死の姉に対する愛なのか。
切ないような愛しいようななんともいえない表情をして龍の子は語ります。

ねえさん…。時をとめることは誰にもできないんですよ。
僕にはこの戦が美しく見える。
人は誰かのために生まれてきたのかもしれない。
僕も人を愛することを知りたくなりました。
許すということを人間たちに提示します。
僕の命とひきかえに、僕が生きていた証として。

だいたいこんな内容の言葉です。恐怖で人々を支配していた龍の子から怒りが消え、人としての感情に満ちています。そして龍の子は、今のこの世界に終わりを告げるため、自らの身を龍の口に投じ、自らを犠牲にして龍を葬り去ります。龍の口が閉じられたあと、龍の眉間に龍の子の剣が中から突き出され、龍は龍の子を飲み込んだまま姿を消します。

何度も言いますが、龍の子の言葉、風間さんの芝居はとても説得力があります。 しかし、ここでもこの「提示します」という表現に違和感を感じてしまう。ビジネス文書じゃないんだから。あと同じことがクラウディアが祭りに出ない方法はないかと毘子蔵に訴える場面にもあります。「わたしを祭りから「削除」できないでしょうか。」最初聞いたとき、削除?変なこと言うのねって思った。慣れるとある程度聞き流しできるようになりますが、そういう小さな違和感が芝居に入り込むのを邪魔するのです。緊張感のある場面に限ってこうなんだけど、時間がなかったわけじゃない2ヶ月の稽古の末に上演している舞台なんだから、脚本だって充分練られているはず。承知の上だと思うのですが、わたしの好みと合わないというだけなのでしょう。全体的にこれはちょっと残念な点でした。

15. クラウディア/FRIENDS

龍の姿が消え、人々は倒れ伏したままの暗い舞台。
ひとり台の上に立ち、倒れている神親殿に語りかけるクラウディア。

あなたの理想としてきた人類のあり方は正しかったのかもしれない。愚かなわたしたちがあなたを作り出してしまったのですね。
ごめんなさい。

と、神親殿にあやまります。

毘子蔵とクラウディアを親子と結びつけた花の痣。
天に向かってまっすぐ伸びる幹があって、そしてそれはしっかりと支える根があってこそ。
幹と根は別々に存在しても意味がない。
細亜羅とクラウディアは根と幹が一緒になるための、小さな一歩を踏み出した。
クラウディアは細亜羅に告げます。
「あなたのくださった愛をけして無駄にはいたしません。」
クラウディアは生きる決心をし、途切れかけている進化の輪をつなぎとめると宣言します。
「これからみんなで…!」

ここのクラウディアの台詞によって初めて「ねこく」「みこく」が「根国」「幹国」であることに結びつきます。感動を呼ぶはずなのですが、これまたずいぶんと理屈っぽい長台詞で、わたしはやはり最初は入り込めませんでした。神親殿に「ごめんなさい」?「途切れかけている進化の輪」?あなたは人類の代表なの?クラウディアったらいきなり神親殿状態?本田美奈子さんの演技には不満はありませんが、やはり脚本に対する好みの問題ですね。

しかしこのあとの桑田さんのアカペラ「FRIENDS」はよいですね。これにつなぐためにクラウディアに語らせる必要があったのかと。

芝居の流れはともかく、一筋の光がさし天からの声のごとく聞こえてくる桑田さんの歌声は思わずはっとさせられる劇的な効果。本田美奈子さんとのデュエットも素晴らしいと思います。

曲の途中で倒れ伏していた人々が起き上がり始めます。クラウディアはみんなが近づいてくるのを思わず警戒して細亜羅の手を握り締めて緊張しますが、そうではない、みんなが手を差し伸べているのだと知ります。
人々の心は龍の支配から逃れ、戦いにあけくれる世界に別れを告げたのだと。
人々は正常な感情を取り戻し、根国・幹国関係なく、抱き合い、喜び合います。
そして戦いで倒れた人達をみんなで協力して木の根元に運び、安置します。
ちなみにヤンについては、右手を神崎さん、左手を福島さん、石倉さんが腰、林希さんが両足を持っておられます。毘子蔵とおりえはふたりが寄り添うように安置されます。

人々の群舞とコーラス。木にかけられていたしめ縄もゆっくりと落ちて、天井から色とりどりの布がふってきます。どういう意味なのかははかり知れませんが、面白い演出です。

センターに集まった群集のコーラスの後ろでクラウディアのシャウト。
最後に人々がクラウディアを囲み、クラウディアのソロとなります。
このとき、光を閉ざしていた背景が開き、明るい空と海の風景が現れます。
あなたがくれたものは…永遠なる真心。

波の音が静かに響くなか、幕が下ります。

16. カーテンコール

幕が開くと全員が舞台に並んでいて、岸谷さんと寺脇さんが前列の両端にいらっしゃいます。
岸谷さんの「ありがとうございました!」で全員お辞儀。
そのまま幕が下ります。

次に幕が開くと、幹国のみなさん、根国のみなさん、おりえとヤン、龍の子と神親殿、クラウディア、毘子蔵と細亜羅の順番に登場します。
またお辞儀して幕がおりますが、とくに旅公演になってからはここで終わったことはほとんどなかったのではなかろうか。
岸谷さんの挨拶のあと、寺脇さんへつながり、大阪の前半までは風間さんに続くことが多かったような気がしますが、大阪の途中から本田美奈子さんになりましたね。
寺脇さんの挨拶はいつも面白いです。いつもクールな顔で決めている平沢さんも思わず笑ってしまうという図を何度も見たような気がします。
日生劇場の千秋楽にはメインキャスト全員からひとことづつ挨拶がありましたが、新潟大楽はどうだったのかな?観に行かれた方のご報告お待ちしています!


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