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砂の戦士たち




●ミュージカルナンバーごとの内容の詳細とわたしの感想です。内容説明はあくまでも舞台を観たわたしの印象と記憶と解釈によるものです。実際の脚本や演出の意図とは異なるかもしれません。その点をご了承のうえお読みください。ご意見ご感想(苦情でも)がありましたらメールにてお願いします。間違ってることを書いてたらぜひぜひ教えてくださいね!
●参考資料:パンフレット、「砂の戦士たち」(著:ジョルジェ・アマード、訳:阿部孝次、発行:彩流社)、「ミュージカル12月号」(No.227、2003年12月、発行:株式会社ミュージカル出版社)

開演前の舞台には幕代わりのパネル。コンクリートの壁のような雰囲気のパネルに幼子を胸に抱いた聖母(なのだと思う)の絵が描かれたものです。教会をイメージする音楽。だんだん暗くなっていきます。 (このパネルですが、ミュージカル12月号のカラーグラビアで見ることができます。あらためて写真で見ても綺麗ですね。。。)

ではミュージカルナンバーごとにその場面の説明とわたしの感想をこれから展開します。公演中から公演後にネタばれOK感想掲示板に書いたものをもとにし、それを読んだ方によるコメント(ありがとうございます!)も盛りこみ、追記修正を行ったものです。言うまでもなく、思いっきりネタばれです。今回は既に終わった舞台ではありますが、いつか再演はありえると思います。未見の方で内容を知りたくない方はこのあとを読まないでくださいね。《2003.12.8》

一幕

砂の決闘 (曲:YANCY)


幕があがると薄暗く誰もいない舞台。やはりコンクリートの壁で囲まれたような、現実ではない空間という雰囲気です。正面奥のセリが下がっていてそこから現れる寺田(横田さん)。(螺旋階段を上ってくるイメージだなって思ったのはわたしが野田秀樹氏の「半神」の影響をうけているせいか?)
寺田のモノローグ。
ヒトの時間はこの砂の流れのようだ。指の隙間から零れ落ち…
あとに残るのはたしかに砂があったというその感触だけ。
寺田の伸ばした手。指の間からきらきらと零れ落ちる金色の砂。
その左右に、天井からも同じ砂がざー…っと落ちてきます。滝のように。きらきらと。
そして、寺田は螺旋階段を降りて行く。

緊迫感ある音楽が流れ、薄暗い舞台に次々と走り出てくる少年達。(最初に舞台に出てくるふたりのうちの一人はアンダースタディの宮菜穂子さんじゃなかったかな。観ているときに、あっ宮さんだ!って思ったのだけど。) 舞台を走って横切る少年達。アクロバットを決める幸村さん、福永さん。ペドロ・バラ(石川さん)と足をひきずりつつ走るセンイ・ぺルナス(平沢さん)、走るペドロとボルタ・セカ(駒田さん)、オレンジの箱を抱えて走るガト(吉野さん)、こぼれたオレンジを拾って逃げる少年達。オケピットから現れるのは川本さん、幸村さんだったかな? こんな感じで次々と上手から下手から、オケピットから、入れ替わりたちかわり少年たちは現れ、ハードなアクロバット、ダンスがめまぐるしく繰り広げられます。
平沢さんは3回くらい出てきては踊り(カッコイイ!!!!)また風のように去っていきます。平沢さんだけじゃなくみんなそうです。もう目まぐるしく、いろんなところを見たいのだけど、目がいくつあっても足りません。
ひとしきりダンスが終わると…正面奥のセリからボルタとペドロが現れます。ふたりは「砂の戦士たち」の首領の座を争い決闘をしています。その回りに次々と集まってくる少年たち。センイは下手袖からふらりと現れ、ふたりの決闘を淡々と見つめています。

みんなが見守る中、最後にはペドロがボルタを組み伏せ、ナイフを首につきつける。これで砂の戦士たちの首領はペドロ・バラとなった。

何故 (曲:YANCY)

砂の戦士たちの首領となったペドロを中心に、自分たちの境遇に怒りをこめて少年達が歌います。
何故俺達は捨てられなくちゃいけなかったのか?何故?
少年達はそれぞれ走り去り、ひとり残ったペドロが少し歌います。

【ちょっと解説:「砂の戦士たち」の舞台は1930年代のブラジル北東部の古都サルバドール。少年たちは、貧困にあえぎ生活のためやむなく親に捨てられた子供であったり、両親を亡くした身寄りのない子供たちだった。彼らは自らの身を守り生きていくために集まり、かつて海であった砂地に建つ打ち捨てられた上屋(うわや)倉庫を隠れ家にし、生きていくため日々の糧を得るために盗みを繰り返していた。彼らは群れをなし大掛かりな盗みを計画するようになっていた。そして彼らは「砂の戦士たち」と呼ばれるようになった。】

上屋倉庫 (曲:YANCY)

少年達の日常。ボア・ビダ(坂元さん)がギター、ピルリト(川本さん)が弦楽器"ビリンバウ"(TSサイトの稽古場通信で紹介されていましたね)、エンリケ(阿部さん)が小さな太鼓を持ち明るい音楽を奏でています。(歌はなかったですか?)
下手からガト(吉野さん)が現れ、台に上がり歌います。ガトの話を聞いてはしゃぐ年若いグリンゴ(福永さん)、アルミロ(幸村さん)、バランダン(縄田さん)。楽しそうに踊ります。
ガトは前から目をつけていた指輪をどこかのオヤジから盗んできた。見ろよこの指輪、これでダルバはまた俺に惚れなおすさ!と得意満面、意気揚揚と歌います。(ダルバはガトの年上の恋人。舞台には実際には登場しません。)

上手からふらりと現れるセンイ(平沢さん)。しらけた様子でそんなガトを見て、ガトにつっかかっていきます。「35歳のおばさん売春婦なんておふくろみたいなもんだよな。俺は年増には興味がない、正常な男だから若い女じゃないと燃えないのさ。」
聞いていたグリンゴがすかさず「俺はどっちでもいい〜」って口を出すのですが、センイに「10年早いんだよ!」って頭をバシっと叩かれてしまいます。そのうえ「お前はその前に寝小便直せ!」って言われちゃうんですよね、グリンゴ。

ここで、ガトは「女は身体や年じゃねえよ。ここなんだよ!」ってセンイの胸をガシっとわしづかみにするんですけど、それってセンイの台詞じゃないけど「おっぱい」ってことですか?違いますよね?ハートってことですよね(^^;。 センイが捨て台詞っぽく「ガキ!」と言って背中を向けたので、ガトは「ガキはどっちだよ!」ってとうとうキレて後ろからセンイの足を蹴り飛ばします。二人の激しいけんかが始まります。すごいですよね、ここ。初見のときびっくりしました。ガトは転がるセンイの背中をぎゅうって踏むし、一人があお向けに寝転び一人がその上を側転したり、お互いに蹴り上げた足を絡ませたり、よほど息があってないと怪我しそうなくらい激しいアクションの連続です。(カポエィラの動きがとり入れられているのでしょうか。)
センイは片足が不自由なのですが、捨て身の攻めでセンイがガトを組み伏せ、殴ろうとこぶしを振り上げる。そこへ、ペドロ(石川さん)とジョアン・グランジ(本間さん)が入ってきて、ペドロが一喝。
「けんかはしてもいい、でもいたずらに仲間を殴るこぶしは使うな!」とか言ってけんかをとめます。

センイとしてはガトが自分の大事にしているほうの足をいきなり蹴飛ばしてきたんだから自分は被害者だ、ガトを殴ってもいいはずだ。こぶしをふりあげたまま「でも!」って言うセンイに対して「"でも"はなしだ!」と告げるペドロ(カッコイイ)。センイはあきらめてガトから離れ「ペドロぉ、俺、被害者なんだぜ…」って甘えた様子でペドロに訴えてみますが相手にしてもらえません。「次の仕事の相談だ」とペドロはジョアン、ガト、センイを、上手の奥のほうの台のところに集めます。ちぇって感じでおとなしく引き下がってしらけた雰囲気に戻るセンイ。ガトはそんなセンイにふん!って感じで冷たい目を向けまたちょっと絡んだりしますが、ペドロたちに止められます。

砂の戦士たち (曲:斉藤恒芳)

ボア(坂元さん)はひとり下手の端でギターを抱えて静かに歌います。この歌がまたよいのです。ものがなしく優しい歌声。少年達はそれぞれに過す。ピルリト(川本さん)は下手奥の台のところで神に祈りをささげ、今日の盗みについて懺悔をしている。そんなピルリトの前の壁には赤い十字架が浮かび上がっています(実際に少年達の住み家にそんなものがあるはずはなく、ピルリトの心の中にあるのでしょう)。センイ(平沢さん)が近づきピルリトに絡みます。生きていくために盗みをしているのに、盗むたびに懺悔するのかよ?それでどうなるっていうんだ。
ピルリトは、心の救いが得られると諭しますが、センイにはわからない。

歌に合わせ少年達は楽しそうに踊ります。みんなが前で派手に踊っているなか、センイは後ろでひとりさりげなくステップを踏み、そのうちごろんと寝転がってリズムに合わせ小さく身体をゆすっています。(実は、こんなところもツボで…)

ボルタ(駒田さん)は幼い少年たちを集めて女の話(でよかったですか?)をしています。またもセンイは絡んでいきます。ボルタはガトより大人らしくセンイの憎まれ口をかわし、センイはひねくれた態度で答え、去って行きます。

ボアはペドロ(石川さん)にもうけ話を提案します。金製品のたくさんある家の噂を聞いてきたのだった。そこの老夫婦は数年前に足の悪い一人息子を亡くしたらしい。ちょうどセンイと同じ年恰好の男の子だったという。だからセンイの得意の芝居でその老夫婦の同情をひいて住み込ませ、金目のもののありかを探らせたらどうだろうと。

ガト(吉野さん)は最近ある娼婦から財布を盗んたのですが、そのままダルバに渡してしまい、そのことをペドロに責められます。パシッてペドロがガトの頬を平手打ちするんですよね。(本当に叩いてはいませんが(^^;)
少年達は何日もろくに食べていない。なのに盗んだ財布を恋人にやってしまうなんて…とペドロはガトを責めます。そのとき下手後方でエンリケ、アルミロ、グリンゴ、バランダンが、おそらく盗んできたパンひとつを奪い合いながらガツガツと食べています。そんな様子を見てガトは「俺はこんな生活をするために生まれてきたんじゃない、いつかもっと大きなことをしてやる!」と叫んで去って行きます。
そのあと、ペドロがジョアン(本間さん)に「みんなぬくもりを求めているんだ。ボアは歌に、ガトは女に、ボルタは山賊に、センイは憎まれ口をたたくことで…」というようなことを話すのでした。(ミュージカル12月号カラーグラビアのペドロとジョアンの二人の写真はその場面だと思います。 センイがボルタに絡んで去って行く場面がこのガトの件の前だったか後だったかはちょっとわかりません。覚えている方、教えて!)

場面は照明(映像)と音響の効果で自然と海辺に変わり、グリンゴ(福永さん)、アルミロ(幸村さん)、バランダン(縄田さん)、エンリケ(阿部さん)たち幼い少年達が海辺ではしゃいでいます。この人達が現れるとき、普通に登場することはほとんどありません(^^;。必ず何かアクションを決めながら登場しますよね。

劇場のエントランスホールを現すような壁が降りてきて、そのまま舞台は劇団へ。

ぼくらの箱船 (曲:高橋 城)

舞台は1980年代の日本。客演の寺田(横田さん)が劇団へやってくる。寺田はグレイのフード付き稽古着を着て大きなスポーツバッグを持っています。
カリスマ的存在だった主宰が亡くなり存続の危機を迎えているある劇団。その亡くなった前の主宰、東(あずま)の追悼公演として上演しようとしているのはジョルジェ・アマード作「砂の戦士たち」をミュージカル化したもの。東が劇団の役者たちに宛て書きした脚本を残したのである。が、もとはといえば、この作品を薦めたのは寺田であったらしい。
東亡き後劇団をまかされている神山(石川さん)は、寺田の養成所時代の同期。寺田はこの劇団の養成所の研究生を経て、劇団には所属せずフリーで活動している俳優だが、今回の舞台に出演するために客演で呼ばれてやってきた。
神山は、これから初日までの2週間、劇場で合宿稽古をしようとしている。

寺田が劇場に着くと、隅でひたすら腕立てふせに励むジャージ姿の男がひとり。劇団員の睦田(坂元さん)。「寺田です」と自己紹介をし、会話をする間もずーっと腕立てふせをし続ける睦田。(すごいよなぁ。)
そのうちふらっと保川(平沢さん)が現れます。寺田を紹介され「あ、プロフェソールの」とクールに答える保川。(保川さん、性格クールそうなのに稽古着派手です。赤青白黒(だったと思うが?)の大きめストライプのポロシャツに真っ赤な(朱色だっけ?)ジャージです)

睦田が寺田を案内して去っていくと、次々と劇団員たちが登場。古株の劇団員の黒藤(駒田さん)はどうも人の名前を覚えない。ここでいろんな人の名前を呼ぶのですけど、ひとりとして正しく言えません。駒田さんいい味出しておられます(笑)

黒藤はニンニクが大好きで今朝も食べてきたのだけど、井坂(吉野さん)に「歯くらい磨いてくださいよ!」と指摘され、「失礼な!磨いているぞ。食べる前に!」と黒藤。(それじゃ意味ないって(^^;)
憤慨した黒藤は来る人来る人に「お前はどっち派だ?食前か食後か」と聞きますが広瀬(福永さん)は歯を磨かないらしい。
守島(川本さん)は、どっち派だ?と聞かれて何を思ったのか「うちは親子3代共産党ですね。この赤旗新聞が証拠です。」と新聞を見せながら生真面目に答えます。
それぞれ劇団員の性格がよく現れている場面ですね。保川はひとりで壁に向かってボールを投げています。

研究生3人(河原:幸村さん、関口:縄田さん、竹林:阿部さん)が登場。登場するなり河原キレてます。研究生は8時に集合していろいろを雑用をしなくちゃいけなかったのに、広瀬はすっぽかしてのんびりパンなど食べている。そりゃ怒りますよね。「これお前が全部片付けろ!」とダンボール箱を床に叩きつける河原。黒藤も「そんな歯も磨かないやつ!」と広瀬を責めますが、当の広瀬は「しまった」って顔はするもののそんなにこたえてない様子(^^;

睦田が戻ってきて、客演の寺田が来たことを伝えるとなんとなく妙な雰囲気。劇団員の言葉の端々から現主宰の神山に対し不満をもっていること、客演をよく思っていないことが感じられる。保川も「みんなでいじめて追い出しますか。」などと過激なことをさらりと言います。

神山が寺田を連れて現れ、いよいよ合宿稽古の始まり。
神山によってこの合宿稽古をする意義が語られますが、みんな従ってはいるものの納得のいってない様子。前主宰の東に心酔し役者になった保川は、亡くなった今も東を忘れられず、神山の「劇団が生まれ変わって」という言葉にも過敏に反応します。

合宿稽古を進めるにあたっての担当者の割り振りは、会計・守島(川本さん)、炊事担当・関口、洗濯担当・河原、衣裳担当・竹林、小道具担当・広瀬。河原はちょっと不満そうな表情。
神山は5分後に稽古開始だといってみんなを去らせ、神山と寺田のふたりきりになるのですが、去って行くときに井坂が首を伸ばしてそおっとふたりの様子をうかがっていたりします。やはり劇団には不穏な雰囲気がただよっているようです。

さて、稽古開始。
神山が研究生たちを指導する形で「砂の戦士たち」の中の登場人物の役どころが紹介されます。
戸口に立つ兄貴分のジョアン・グランジ(木村:本間さん)がいつも見つめているというプロフェソール(寺田:横田さん)、ってところで木村と寺田がにっこりと挨拶をするところが好き(^^)
いつもギターを抱えて歌っているボア・ビダ(睦田:坂元さん)が紹介され、ピルリト(守島:川本さん)が紹介され、センイ・ぺルナス(保川:平沢さん)が紹介されるのですが、お祈りしているピルリトが大切にしている聖母の絵をひょいと取り上げていじわるをするセンイの姿に微笑んでしまうわたしって変?

この途中でストップモーションになり、寺田のモノローグが入ります。
劇団という小さな集団には興味のない寺田。すこし離れたところから冷静に劇団を見つめる寺田の目から、まるで海に出て行く箱船のようなあやうさをはらむこの劇団の、これからの航海が描かれていきます。

この場面の最後、劇団員たちがどうやってはけるのかは忘れてしまいましたが、「ぼくらの箱船」が神山、寺田以外のみんなで歌われ(途中でふたりが先に去るのかもしれないが)、終わると、パネルが反転してブルーで描かれた港の風景。音響の効果とともに一瞬にして場面はブラジルの港へ。(ここの場面展開好きでした。)

喜びの光の中の、哀しみ (曲:斉藤恒芳)

明るい日ざしの中の港。ペドロとプロフェソールが走り出てきます。じゃれあいはしゃぐふたり。ふたりの歌です。 ペドロはプロフェソールの絵の才能を大切にしていて、できることなら絵を勉強する学校に行かせてやりたいと思っている。だけどプロフェソールは、「学校に行くのはお金だけの問題じゃなく、もっと複雑なことなんだ。無理だよ。」と言って悲しそうな顔をする。
今目の前に見える景色は、明るい日差しの中の綺麗な風景だけれど、プロフェソールの目には、そこで働く人たちはみんなおなかをすかして悲しそうな顔をしているように見える。プロフェソールは自分たちは学校へ行ったことがないから、知らないことがたくさんある。楽しい人々の絵が描きたくてもみんな悲しそうに見えてしまう。と嘆きます。
ペドロは、いつか世の中は変わると信じています。そのために波止場では何度もストが行われているのだから。プロフェソールに「いつかお前は画家になってホールに絵を描くことになる。学校へ行かなくてなんだ。学校へ行っている連中にはとうてい描けない絵をお前なら描ける」と言って笑います。そして「俺の肖像を描け。カピタン・ペドロ・バラ、勇敢な男と」と言いながらボクサーの姿勢をとるペドロ。プロフェソールも答えてふたりは笑いあいふざけあい、プロフェソールの顔にも明るさが戻ってきます。

通りにいる紳士を見つけ、ペドロはプロフェソールに「あの男の絵を描け」と薦め、プロフェソールは持ち歩いているらしい画板で紙にその紳士の絵を描き始めます。そこに通りかかってその絵を見て驚く神父(福永さん)。プロフェソールは通りに立っている紳士を座って本を読んでいる姿として描いていた。そのほうがいいと思ったからだ。神父はプロフェソールの才能を認め、ぜひ連絡してくるようにと連絡先を書いたメモを渡します。
その様子を警官に見られ警笛を鳴らされたのでさっと姿を隠すペドロとプロフェソール。神父は警官にさっきの少年たちは「砂の戦士たち」と呼ばれる泥棒なのだと知らされ驚き、もう姿の見えないふたりに思いを馳せながら去って行きます。

プロフェソールはせっかくもらったメモを捨ててしまいます。ペドロはメモを拾ってとっておくように薦めますが、プロフェソールはこそ泥にしかなれない自分たちのことをよく知っていた。メモはそのまま置き去りにされた。(と、思うのですが、ペドロはどうしたのでしたっけ。)


つづく


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