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TS Musical Foundation
AKURO

○観劇直後にブログに書いた感想など
AKURO観劇1〜3回目の感想。
AKUROを観終わって思うこと。
アケシについて。

○関連TV番組報告
タカラヅカ・スカイステージ「演劇の小径」 (2006.9.23-10.21)
・シアターテレビジョン「Theater Info. Clips」 (2006.10.7-20)
・NHK BS週刊シティー情報 (2006.10.21)



AKURO観劇1〜3回目の感想。

全体的な感想はまた書こうと思っていますが、まずは平澤さんの魅力炸裂な場面から。。。好きな場面はいっぱいあります。

オタケ・平澤さんの見せ場といいますか、一押し場面は、ご自分でも言っておられたとおり、やはり最後の立ち回りでしょう。
じつは、わたしが一番好きな場面はその前の鉄の谷での高麿(坂元さん)とオタケ、蝦夷たちの場面なのです。蝦夷たちが遠く夢見る光景が目の前に広がり、でもそれは遠くはかなく。切なく微笑み、音楽に乗って踊る。わたしは、泣いてます。
その場面の最後に、オタケは高麿に静かに言います。
「信じてみなければ何も変わらないとアテルイは言った。お前を信じてもおそらく何も変わらないだろう。…だが、死をおそれない男は嫌いじゃない…。だから、お前を信じてみることにした。」(平澤さん、かっこいい…)
蝦夷たちは高麿を生かして都に行かせるために戦う。蝦夷と大和の真実を都の人々に訴えるという高麿の言葉を信じて。押し寄せてくる大和の大軍勢を相手にして、それは不可能だとわかってはいても。ほとぼりがさめるまで谷にこもっていれば、自由はなくても生き延びることはできる。この谷を出ればまず命はない。それでも都へ行き、真実を伝えるのだという高麿を信じて。

そして、洞窟を出た高麿を守るための蝦夷の戦いがひとりづつ描かれます。(こういうところ、劇団☆新感線みたいだな)
蝦夷たちひとりづつ見せ場となっていますが、ここでとくに目をひくのがクスコ(武智さん)。重力を感じさせないあの連続片手側転、素晴らしく敏捷な動き。大和兵を一人残らずやっつけてしまって、高麿を探しているうちに飛んできた槍にやられてしまう。あんまりじゃないかーっ。
イサシコ(駒田さん)は、ロープと分銅使いで歌いながら勝負。渋いっ。蝦夷は奴隷の道を選ばない!と死んでいく。
(みんなそれぞれ得意技で勝負するんだなぁ。) ここで音楽がピシっと終わるんです。

そして、打楽器の音だけになり、オタケが登場する。胸の動悸が高まります。初見のとき、「ああ!真打登場!」って思いました。
オタケは強いのです。二刀流を駆使したものすごいスピードと迫力の刀さばき、蹴りも入れつつ、敵をばったばったと切り倒していきます。わたしはこの場面は、手に汗握り、瞬きも忘れ見入ってしまいます。息もとまっているかもしれません。
しかし、オタケは次から次から出てくる槍隊に最後にはやられてしまいます。あんなに強いのに…やられてしまうの。
二幕の最初にある御伽草子で、大嶽丸のやられるシーンが描かれますが、そこと同じやられ方です。
「オタケーッ!」と高麿が叫ぶ声に、オタケは瀕死の状態で立ち上がって高麿を探して、高麿に「都へ…」と声をかけて倒れ、死んでいくのです。

ほろほろ…(T_T)

さて、それに匹敵するかっこいい場面。
一幕の鉄の谷での蝦夷たちの剣舞です。これぞミュージカルの醍醐味。
この場面は、蝦夷達が、捕らえた高麿に対して、大和が蝦夷に何をしたかその真実を語ってきかせるという場面ですが、歌とダンスと台詞で表現されます。オタケを中心とした蝦夷たちのの見せ場です。歌はオタケとヒトカが歌い、コーラスになり、剣を持ってのダンスとなります。オタケは後ろの台の上にいたり、一緒に動いたり、ちょっと離れてたりいろいろですが、途中でセンターに入り、群舞となります。
オタケを逆三角形の頂点にしたフォーメーションのダンス、もう〜ものすんごいかっこいいです。 「天翔ける風に」の志士ヤマガタを彷彿とさせます。けど、それよりももっともっとかっこいいです。 思わず呼吸も忘れ、まばたきも忘れ、見入ってしまい、身体は「平澤固め」にあいながら(笑)、心の中ではキャーキャー暴れそうになっている、、、とそういう感じでしょうか。

このナンバーの途中(最後だったか?)に、上手端のほうにオタケを中心に蝦夷達が集まり、オタケは妹のアケシについて語ります。
ここで、アテルイがなぜ死んだのかが語られます。大和による侵略の結果、アケシは奴隷として連れていかれ、和議の使いとして戻ってきたときにはアケシの目からは光が失われていた。アケシはアテルイに、奴隷となった女子供、弱いものたちがどんな目にあっているかを訴え、アテルイはその話を聞いて、それ以上の抵抗をやめることにした。アケシの言葉に耳を傾け、田村麻呂を信じ、都に出向いたアテルイは、処刑され二度と帰ってはこなかった。 アケシは田村麻呂に見初められ、娘をもうけていた。アケシは田村麻呂と通じ大和に心を売っていた…。その結果、アテルイは田村麻呂の姦計に落ちたのだ。

オタケは静かな口調で語るのですが、怒り、憎しみ、悲しみ、苦しみ、やるせなさ、さまざまな感情がその瞳に、その表情に感じられ、やっぱりずっと目が離せないのでした。

ここでの話をちゃんと頭に叩き込んでおくと、二幕に出てくるオタケの台詞「(アケシを)一度は許した。しかし二度の裏切りは許されない」が非常に説得力をもちます。(わたしは初見ではすっと結びつかなくて、二度の裏切り…ということは、一度目はなんだっけって一瞬思ってしまったんですけど。)

しかし、この作品、「アテルイ」を知ってるか知らないかで全然観る側の意識が違ってくるんじゃないだろうか。わたし自身は、劇団☆新感線の「アテルイ」を観たし、「火怨」も読みましたから、すっと入っていけましたが、そうでない人はいかがでしょうか。
実際、舞台上には「アテルイ」は死んでしまっていないわけですから、今は亡きその人がどれほど大切な人物だったかわかってるかどうかで、「アテルイがどうした」という話の重みが全然違ってくると思うんですよね。
御伽草子で「悪路王」については説明されても、それがアテルイと蝦夷達、高麿の最期の場面に結びつくにはそれなりの予備知識が必要なんじゃないかと思うし。
でも、だからって別にこの作品を楽しめないわけじゃないと思います。ただ、わかっていて観ればはるかに深く、作品世界に入りこめるだろうってこと。

わたしは、アテルイが生きている頃の重要な戦い、アテルイの人生がそれなりに回想で描かれるもんだと思っていたので、かなり思い切った構成にしたのねぇと思いました。謎の若者をとことん謎のまま、「俺の名はアテルイ」のシーンまで持っていきたかったのかな。

構成としてはシンプルでいいとも思う。主人公を高麿にしぼり、高麿をめぐる人々(蝦夷たちや田村麻呂、源太)、高麿に影響を与える謎の若者(アテルイ)というわかりやすい構成になっていると思います。アテルイに関しては「影響を与える」なんて生易しいものじゃなくて、「憑依」とか「魂が宿る」と言うべきかな。同じ魂を持つ人だったんだろう。アラハバキの神に選ばれし者。だからこそアテルイは高麿を呼んだ。能天気なくらいまっすぐな気性で、悲しみも苦しみも暗いものをなにもかもすいとってしまいそうな、、、坂元さんにぴったりの役だなぁ。

AKUROを観終わって思うこと。

AKUROを観終わって、見所として力説したい場面も好きな場面も数々あるんですが、 一番好きな場面をあげろと言われたら、やっぱり最後の戦いの前の鉄の谷の場面。 ナンバーでいうと、「生まれ変わったなら」です。人によっては、長いだのくどいだ のと言われてますが、ここは誰の視点になって誰の気持ちになって観ているかで感じ 方が全然違うと思う。わたしはといえば、完全にオタケの気持ちにどっぷりはまって 観ているので、長いと感じたことはない。

高麿とアケシを連れて谷に戻ってくるオタケ。
高麿を信じるのかという蝦夷たちの議論に、「疑いの目しか持たなければ、本当のことは見 えない。こいつはアケシを救ってくれた。俺は受けた恩は忘れない。」というオタ ケ。(平澤さん、かっこいい…)
この「疑いの目しか…」というオタケの言葉にアケシははっとするんですね。谷の入 り口でアケシがオタケの足にすがり必死に訴えていた同じ言葉です。
ああ、この谷の入り口の場面もじつはすごく好き。

ちょっと横道にそれるけど、オタケとアケシのこと。
オタケは、アケシが可愛いんだな。だけど、結果的にアケシのせいでアテルイは死ぬ ことになってしまった。オタケにとってもアテルイがどれほど大切な人物だったか想 像するにあまりあります。今回の高麿のことだって、面倒ばかりかける妹。ジレンマ に苦しんだことだろうに。

アケシが高麿の屋敷にいることがわかって、考えた末にオタケが出した結論。
「一度は許した、だが二度の裏切りは…」
「アケシは俺の妹だ。俺が始末をつける」
「一人でいい。お前たちは谷に戻れ」
オタケの心情を思うと辛い場面です。(ミーハー的な観点から言うと、この「アケシ は俺の妹だ」っていう台詞が好き。こんな風に言われてみたい。あっ、でも始末され るのは嫌〜〜。)

胆沢の城に一人で行くのが危険なのはもっともなんだけれど、クスコ(武智さん)が ちゃんとわかってくれて、「いや、一人で行かせよう。オタケは誰にも見せたくない んだ、妹を手にかける姿を・・」と言ってくれますよね。クスコ、いい奴だ。
それなのに、ヒトカに知らせちゃって…ヒトカに知らせてどうなるって言うんだよ。 ここがよくわからん人たちです。
結局、ここでもアケシのせいで、ヒトカは死んじゃうことになりますよね。ヒトカは アケシにべたぼれなのに、田村麻呂にまずとられちゃって、アケシが戻ってきても自 分には口も開いてくれなくて、ヒトカは大和と共存できる道を探していたのに、オタケが殺し に行ったと聞いてアケシが心配で駆けつけていって、そのせいで自分は捕まって拷問 されて死んじゃって、死ぬときに悟ったことが
「正しかったのは、オタケだった…」
しかもしかもその後、アケシは高麿と………ヒトカ、報われなさすぎ。。
オタケが高麿とアケシを迎えにきた谷の入り口で、高麿のことを「この人はそんな人 じゃない…」とすがるアケシを黙ってバシッとぶつオタケ。
「アケシ!お前のせいでヒトカは死んだんだぞ。」というオタケの心の声が聞こえる ようだった。

すみません、話戻ります。

鉄の谷。高麿が「生まれ変わったら今度は蝦夷に生まれたい。」と語るときのオタケ の微妙な表情の変化や、そのあと、ちょっと笑って「俺はヤマトの王がいい。俺なら こんな戦いはしない。他人の土地を奪うような…こんな戦いはしない」って言うとき の表情、日によって微妙に違ったりもしましたが、千秋楽は、ここのオタケの笑顔に やられ、こんな段階で涙だーだーになってしまった。。そして、みんながそれぞれ夢 を語っているときの、寂しげな、でも遠い夢を見るような、ちょっと暖かな目だった りかすかな微笑みだったり。

イサシコが歌いだし、オタケが歌い、もうこのへんからたいてい泣けてしまうんです けど、音楽高まって、踊りだすときのオタケの無邪気とも思える笑顔。
ここがたまらんです。気づいていましたか。この作品中、オタケが笑顔を見せるの は、唯一、この場面だけなのですよ。(他の蝦夷たちについてもそれは言えるんじゃ ないかと思う。ごめん、他の人については断言できない。)
こんなところを凝視してるのは、ファンだけだろうと思いますが、人はそれぞれ。 生の舞台というのは、見る場所を自分で選べるのですから。感じ方も人それぞれ。ど ういう見方をしようとそれは自由です。でもきっと一般的な見方じゃないと思う。そ れもわかってるけど、そういう人がいたって別にいいじゃないか。

蝦夷たちは血気さかんで戦が好きなわけじゃなく、けしてしたいわけではない。ただ 命を捨てたがっているわけでもない。源太の裏切りのために鉄の谷のありかを田村麻 呂に知られてしまって、現実に大和軍が攻めてきている。ヒトカが殺された今、これ 以上、耐えるのか、このまま隠れ、自由もなくさげすみに耐え続けるのか。

蝦夷たちはなぜ戦うのか。大和朝廷にさげすまれ人間扱いされないまま、戦わずして 負けることは、自分達が人間であったということを放棄してしまうに等しいから。 自分たちが今、戦わなければならないことは、避けられない運命であっても、死んで うまれかわったら、そのときは大和も蝦夷もない、戦のない世界で・・・死んでいっ たものたち、いずれ自分たちも死んでいき、風の荒野で骨になっても、その未来を待 ちつづけている。

でもほんとにつくづく思うのは、アテルイはなんのために死んだのか。
アテルイが死ぬことで、蝦夷たちは戦から開放されたのではなかったのか。
結局、大和朝廷による蝦夷への弾圧はやまなかったし、結局蝦夷はさげすまれ続け、 隠れ住むしかなかったのですよね。
人間はいつの世でも人を支配したがり、優劣をつけたがる。
今の世の中でも、どうしてこんなことで人は人を人を差別したがるんだろうって思う ことは多いです。
人の気持ちに、なんて醜いんだろうって感じることもある。
あんた何様だって言うんだよ!って怒りを感じることもある。
鬼は人の心の中にあるんだな。
若い頃は今よりもずっと、許せないことが多かったな。今はトシいったぶん、諦観し てしまっている自分を感じます。

また話が横道にそれましたが、AKUROでは、高麿が死んだ翌年、大和朝廷はやっとこ の戦のむなしさを悟り、鉄の谷探索をあきらめたと説明されます。どうして急にそう なったのかは謎ではあるが。
アテルイは、自分が死んでも何も変わらなかったその事実を嘆き、高麿の心身を借り て、やりとげられなかったことを、やりとげたのかもしれない。今はそんなふうに思 います。

うまれかわり死にかわり、この日高見の大地とともに。
AKUROではそこかしこに黒服の蝦夷の亡霊たちが存在していましたが、彼らは日高見 の大地にて、生まれかわる日を待っているのだろう。
高麿がアテルイの生まれかわりなわけはないんだけど、死んだアテルイの魂を宿した 人だったんだろう。
その高麿も、イサシコ、オタケ、ヒトカ、クスコ、キクリ、ヤイラ、アラカオたち も、日高見の大地で、生まれ変わる日を待っているのだろう。
高麿とアケシの子、大和でも蝦夷でもない新しい人が、その子孫が、掛け橋となって 戦のない世の中を作ってくれる日を夢みて。

だらだらした感想ですみません。読んでくださった方、ありがとう。
人によっていろいろな感想はあるだろうけど、今思うことは、とにかく、この舞台が 観られて幸せだった。
誰がなんといおうと(いや別に誰も何も言ってないが(^^;)、この舞台の平澤さんは 本当に素敵だった。

アケシについて

ブログに感想を展開していたときにいただいたコメントに答えながら、アケシについていろいろと考える機会がありましたので、まとめて書きます。

アケシって、蝦夷の男達にすごく大切にされてますよね。ヒトカはもちろん「アケシ命」だし。大和に奴隷として連れていかれて盲目になって帰ってきたことへのいたわりもあるだろうし、オタケの妹だからというのもあるかもしれないけど、それだけじゃなくて、きっと幼い頃から可愛くて、みんなに愛されてたんじゃないのかなぁ。
とくに兄であるオタケは、戦の絶えない世の中にいても、どんなに妹を大切にし可愛がっていたのか想 像できてしまう。
ところで美形兄妹ですよね〜、オタケとアケシって。説得力あるわ〜(笑)

それはともかく、アケシの行動が物語を動かす重要なポイントになっているのだけれども、考えようによっちゃなんてバカなことをするんだって思えたりするし(いや、そうでないと話が進まないのですが(^^;)、なんでヒトカじゃだめなの?どうして高麿と結ばれるの?って疑問を持つ方もいらっしゃったと思います。

和議の使いとして戻ってきて以来、アケシには大和、都のことは何も知らされなかっ たと思う。アテルイはなぜ死んだの?私は利用されたの?田村麻呂は自分を見捨てたの?姫は元気でいるの?知りたいことはたくさんあっただろうに。
だから、大和の役人(高麿)が転がり込んできたことは、千 載一遇のチャンスだと思ったでしょうね。直接の原因ではないにしろ、結果的に自分が田村麻呂と通じた(という表現が正しいかどうかはわかりませんが)ことで、アテルイは死んでしまったのですから、蝦夷の仲間の誰にも頼めない。アケシは自分で聞くしかないですよね。
高麿の言葉を信じて胆沢に行ってしまったのも、この機会を逃したら、もう一生、姫 に会えるどころか姫のことを聞くチャンスもないという必死の覚悟だったのではない かと思います。

姫のことがあったから、アケシはヒトカのことを受け入れられなかったんでしょう。 自分のためにアテルイを失うことになってしまったのに、なのになおも自分は大和に残してきた姫のことが気がかりで。ヒトカはそんなアケシを受け入れるために、大和を憎まず大和との共存を願っていた。ヒトカが心広く優しいからこそ、アケシはよけいに後ろめたい思いもあったのかもしれません。大和にいる姫を捨てて、ここで自分がヒトカと幸せになるなんてできないという思いもあったと思う。

そしてまた高麿の言葉を信じて大和を信じてひどい目にあって、そのうえ、ヒトカも姫も殺されたと言われ、アケシは絶望し後悔し自分の浅はかさを呪っていたと思いますが、殺されそうになったところを、高麿が将軍に逆らってまで自分を助けてくれた。このときのアケシの「え・・?」というような顔が印象的です。

ヒトカも姫も死んでしまって、田村麻呂も自分のことを邪魔にしている。蝦夷たちだって、二度も大和と通じた自分のことをもう助けてはくれないだろう。心のよりどころを失い、絶望ばかりだったアケシの心に、高麿のまっすぐな思 いによって光がさした。かなわないかもしれないけれどわずかでも未来に希望を感じることができたのでは。高麿が光の音を聞かせてくれた。アケシは目が見えないからこそ、心の目で本質を見ることができたのかもしれないなと思います。

だからといって、いきなり「私の子を産んでくれ」という展開には、ちょっといきなりそうくるかいっ!という気持ちにはなりましたが〜…坂元さんの高麿だからこそ、成立する展開だろうなぁ。
いずれにせよ、この段階では、二人とも明日は命はないと思っていたと思いますし…

ふたりはオタケが迎えに来てくれるなんて、思ってもみなかっただろうな。
オタケは…朝まで待ってあげたのかな。


関連TV番組報告

タカラヅカ・スカイステージ「演劇の小径」 (2006.9.23-10.21)

15分番組で、お稽古風景をちりばめながら、謝先生のインタビュー、彩輝なおさんのインタビュー。
宝塚関連の番組ですから、彩輝さんがメインなのは当然として、他にしっかり映って名前まで紹介されるのは、今さん、駒田さん、坂元さん。
歌う坂上田村麻呂の今さんかっこいいですね〜。坂元さん(安倍高麿)&西村さんはちょっとコミカルな感じなのかな。
平澤さんは、お稽古風景にちらちらと、予想してたよりはたくさん映ってました。
とらえた安倍高麿を蝦夷たちが囲む場面、オタケ(平澤さん)の台詞と歌が聞けます。声が聞こえて、カメラがぐぐっと手前に動いたと思ったら、平澤さんの横顔がアップで映るからちょっとびっくり(笑)おお、平澤さん、そこにいたのね!(笑)
オタケの言葉で、盲目のアケシ(彩輝さん)がヒトカ(藤本さん)に付き添われて登場します。
その後の剣を持っての踊りの中には平澤さんいないのかしらと思ってたら、ちょっと離れて歌っていたのか、途中からセンターに入って踊るみたい。これは「志士ヤマガタ」のパターンですね。かっこいいだろうなぁ。
あと、お稽古風景で目をひいたのは、藤森真貴さんのダンスです。美しい!!鹿の精霊でしたっけね。雰囲気ぴったり!平野さんと組んで踊ったりもするみたいですね。
早く舞台観たいなぁ。


シアターテレビジョン「Theater Info. Clips」 (2006.10.7-20)

これも15分番組ですが、前半7分間くらいが「AKURO」です。
同じくお稽古風景をちりばめながら、謝先生のインタビューと、坂元さん、吉野さん、平澤さん3人のインタビュー。こちらは6名のメインキャスト全員の名前が紹介されます。
3人のインタビューは、自分の役どころの紹介と、見所はどこか、くらいの短いものですが、なんだか見ていて緊張してしまいました。平澤さんがTVでインタビューされるなんて見るほうも慣れてないもんで(笑)
平澤さんは髪の毛伸びててくっるくる(笑)
平澤さんによると、見所は、最後の立ち回りかな?とのこと。あと、そういう派手な場面にも負けないくらい、地味な芝居の場面もきっちり魅せていきたいとのことでした。楽しみだなぁ。役どころについてですが、オタケは、蝦夷の中でもとくに「大和憎し」という感情を持っている人物らしいんだけれど、最終的には安倍高麿を一番受け入れるとか(よくあるパターン?)。それと、田村麻呂の子を産み盲目となって戻ってきたアケシが妹であること。それがポイントだそうです。
そうそう、演劇好きな女性ファンは見逃しちゃいけない舞台だそうですよ(笑)


NHK BS 週刊シティー情報 (2006.10.21)

1分間くらい舞台稽古の様子が紹介されています。
・1幕最初の御伽草子で4人の鬼達(藤森さん、平野さん、福永さん、武智さん)が踊っている場面。
・高麿と源太が赤毛の案内で田村麻呂のところへ向かうところ。
・田村麻呂が鉄の谷について高麿に語る場面。
・鉄の谷の最初、高麿が連れてこられる前(オタケも映ってます)。
・オタケがヒトカに「首をはねろと言っただろう」と言っている場面(ただし映っているのは高麿とアラカオ、キクリ、クスコ、謎の若者が後ろにぼんやりと)。
・「エミシの戦い」の最初のほう(オタケは最初歌ってて、次に後姿だけど踊っているところが少し。かっこいい。アケシが手前にぼんやりと)。
・イサシコに「大和と蝦夷は共に暮らせないのか」と言う高麿(イサシコ、ヤイラ、キクリが映っています)。
・「都へ!」の最初、高麿をヤイラ達が助けにきて、オタケが現れる場面。オタケが助けに来たところで終わり。


解説&感想(長文):
一幕二幕



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