T.S MUSICAL FOUNDATION ORIGINAL MUSICAL
中国地区演劇鑑賞会統一企画 9月例会


YESTERDAY IS…HERE

一生に一度光り輝く瞬間 人は天使に近づく

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書いてしまうとネタばれになってしまうので、いままで書いてなかった感想をこの機会に。
前のページから来た人には何度もしつこいけど(^^;いちおう……
物語の核心に触れてますので、舞台を未見の人で知りたくない人はこの先を読まないでね。《2000.10.23》

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YESTERDAY IS…HERE


初見のとき、わたしは、ジョーが本当は誰なのか最後までわかりませんでした。タックなのかなって思うときもあったけど、大半は、ジョーはスムースなんじゃないのかなと思いながら観ていました。だから、ラストでジョーが息を引き取りハーモニカを落とすシーンは、わたしにはとても効果的でした。タックだったのか…って、青年と一緒に衝撃を感じることができました。

冷静になってよくよく考えてみれば、タックが突然去ってしまってからタックに会った人は誰もいないんだから、タック本人でなければ最後の試合のことをあんなに語れるはずがないんですよね。
きっと最初からジョーはタックに違いないと読んで観ていた人も多いんだろうなと思います。いろんなサイトで感想を読んでいると、展開が読めてしまうという意見もありました(だから悪いということではなかったですが)。
わたしが思うにこの作品、初見よりも展開を知って観る2回目、3回目のほうがより感動が増すんですよ。もちろん一度観ただけじゃわからないということではないです。シンプルでわかりやすいお話ですし。ただ、回数を増せば増すほど思いがより深く伝わってくる。そんな作品だったと思います。

ジョーの話はいささか長く(あのセリフの多さはいかにも正塚先生らしいとも思ったけど)初見ではとくに1幕はけっこううざったいと思うかもしれない。でも2回目からは(慣れるということもあるけど)気にならなくなります。ジョーがどんな気持ちで話しているのか、この話がどういう伏線になっているのかとか2回目からはそういうことに思い至るので、味わいが増すのですね。(でもジョーと青年の話の場面は、もうちょっと整理したほうがいいところもあるような気もする…)

わたしはこの作品を恋物語だという風に見たことはなかったのですが、他の人のそういう感想を読んで、なるほど、そういう観方もあるのかと思いました。「話したいから」というタックの気持ちも、ただミューが喜ぶ顔を見たいという気持ちも、一言で言えば「君が好きだから」ということになるかもしれない。
登場人物の年齢設定についてはよくわからないですが、一番年長らしいスムースが14歳くらいかなあ?ミューは8〜9歳くらいかな?ミューはタックに父親の姿を見ているように思うけど、タックはどうなんだろうな。天使だって人間の女の子に恋をしないってことはない。ただ、タックの行動がミューに対する恋愛感情ゆえのことであるなら、最後の試合前にスムースがタックに問いかける「どうしてそこまでするんだ。ミューのために」という言葉は、あまりにいまさらな質問ということになりますよね。ただミューが好きだからタックがそこまでやってるのなら、聞くまでもなくスムースにはわかっているはず。だけどタックの答えは「話したいからさ」。

彼女と話すことができればきっと生きる意味の答えが見つかる。タックが言っていることはそういうことだと思うのだけど、タック自身、自分が見失ってしまったその答えを、ミューがきっと教えてくれるとそう信じているのではないのかしら。
そして、女の子としてのミューが好きだというよりは、もっと大きな愛なのではないのかな。たとえばミューが少女ではなく少年であっても、タックは同じなのではないかと。そんな気がします。平沢さんの演じる、愛に満ちていながらどこか飄々としたタックの雰囲気がそう思わせるのかな。わたしは平沢さんのそんなタックが好きだけど、別の役者さんがタックを演じればまた違った風に見えるかもしれません。熱く甘く切ない恋物語だとわたしも感じるかもしれない。

タックは天使。身を削ることになろうとも惜しみなくただ与える愛。タックのそういう姿を通して少年達は、他人のために一所懸命になれること、信じて思いつづけること、努力することの大切さを学びます。どうしてそこまでするのか、きっかけがどういうものであろうと、大切なのはその過程であり結果です。タックはその行動を通じて少年達の心に何かを語ることができ、ミューは言葉を取り戻した。これは、タックが天使だったからできたことかというとそうではないですよね。むしろ天使が奇跡を起こす力を使ってミューが言葉を取り戻したのなら、これほど回りの人間に影響を与えることはなかったでしょう。

最後の試合中のジョーの語り、タックのモノローグ、少年達の応援やざわめきと静寂との対比やバランス、あのへんの舞台作りは本当にうまいな…と思います。シンプルな作りなのにとても雰囲気出ているし、草薙さんの語りのうまさ、平沢さんのセリフ、動き、表情(このあたりはとくに、やっぱりタックは平沢さんでないと…って思う…)、照明、音響の効果などなどがあいまって、緊迫感が高まります。そこに、ミューが現れる。ミューはほとんど言葉を発することなくここまできて、ここで「タック、生きていて」と叫びます。前回の感想にも書いたことですが、これは効果絶大です。
「ミュー、何を言ってるのかわからないぞ…」っていう平沢さんの声の優しい響き。透き通る竹内さんの声が耳に心地よく響き、高まるタックの思い、そして天に帰る瞬間を迎えたときの「なぜ今なんだ!」というタックの叫び。このあたりはジョーの語りとタックのモノローグがまじりあい渾然一体となって…今書いていても思い出して泣けてしまいそうになります。

タックはあのとき天に帰ることはできなかった。タックは人間のまま年をとっていき、いずれ死ぬ日が来る。だけど、探していた答えを得、大切な思い出を胸に抱いて、ミューと少年達の成長を見守りつつ、いずれ魂が解き放たれて再び飛び立つ日がくるまで待つ日々は、けして不幸なものじゃなかったと、ジョー(タック)はそう言っているのだと思います。ミューがはじめてタックの名を呼んでくれたあの日、君と話ができるのならそれでもいいよと語ったあのときの気持ちのままに。

最後にスムースのことをちょっと。今回ストーリーを書きながら思い出していたのは(タックは別ですが)スムースの言葉が多かった。チームの中で一番お兄さん格で重要なセリフも多いのでそれは当然なのですが、でもやっぱり萩原さんの声とセリフがポイントだったかなと。最後の試合前のタックとのシーンで伝わってくるタックを思う気持ち、老人の姿になったタックに語る言葉。最初に書きましたが、スムースがタックの物語を語っていても不思議はないですよね。ジョーがスムースだったとしても(ラストの展開は別にして)物語は成り立つんじゃないかと思いました。でもそれだと本当に昔話になってしまうんだけど。スムースはミューや少年達のこともタックのことも見守っていて、また少年達の中では一番タックに気持ちが近いところにいて、タックの物語を語るのにふさわしい感じがして。

もちろん、ジョーがタックだったほうがずっとドラマティックです。ジョーが青年に物語を語っているのはあの最後の試合からどのくらい後なのでしょうか?7〜8年?10年くらい?
いずれにせよ、ミューと少年達があれから真っ直ぐに生きて、今、輝くときを過ごしているそのときに、タックの魂は天に帰って行く。この設定が素敵だなと…そう思います。



ここまでわたしの長い長〜い感想を読んでくださって、本当にありがとうございました。 何かご意見ご感想(苦情でも)がありましたらメールまたはMESSAGE BOARDへひとことお願いします。《2000.10.23》

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